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病院紹介

疾患と治療の内容

診療費用など

来院時に必要なもの

遠くに吾妻安達太良連峰を眺めながら、北へ向かう国道4号線から右へと分かれ、左手に福島県立医科大学を見過ごし、少し行くと白河の奥甲子に源を発した阿武隈川が、ゆったりとした流れから、当地域立子山にさしかかるころその流れは大峡谷となり、一大景勝地『蓬莱峡』となっております。

この峡谷に架かる『上蓬莱橋』はアーチ型の景勝地にふさわしい雄姿でまさに、緑豊かな立子山のシンボルでもあり、架橋からの眺望を楽しむ人達も絶えません。上蓬莱橋を渡ると、そこは立子山です。

豊富な自然、山紫水明、咲き誇る花々、贅沢なほど美味しい空気、豊かな人情、どれひとつとってもそれがこの地立子山です。

全国に知られた凍豆腐の名産地としても有名であり、初代院長はそんな恵まれた自然の中に真に理想とする近代精神医療を目指し、ひたむきな心で昭和45年5月、19床の診療所『村上神経科医院』を創設しました。以来2度に亘る増床を重ね132床の『医療法人慈心会村上病院』として、寝食を忘れ全員一丸となって精神医療に打ち込む熱意は脈々と息づいております。

 

当院の歩み

 昭和45年6月、当時は無医地区であった立子山に、19床の有床診療所「村上神経科医院」が開設されました。初代院長と看護師3人、事務職員1人というささやかなスタッフでのスタートでした。

 当時は、精神科における治療といえば、入院治療が中心でしたが、散歩をはじめ、畑での農作業や鶏の飼育など、当地の自然とのふれあいを中心とした治療が行われ、平均在院実日数としては、260~290日程度で推移しており、当事の水準からみれば、かなり短期間での入院治療が実践されていました。

 同院に先駆けて、昭和45年2月、川俣町に開設された「村上医院」は、サテライトクリニックの役割を果 たしていました。両院は、連携して近隣の地域の精神科医療を担っていましたが、更に、地域住民の皆様の一般 的な健康管理にも大きな役割を果たしており、現在でもその姿勢に変わりはありません。

 昭和52年5月、より多くの患者さんのニーズに応えるため、「村上神経科医院」は、増築により、72床の「村上病院」へ改組されました。新しい建物は、天井近くからひざ程度の高さまでが窓となっており、また、鉄格子はなく、下半分の窓に、転落防止用のアルミの柵がついているという構造でした。窓を広くとり、明るいスペースを確保した設計は当時としては、先進的であったと考えられます。

 その後、周辺地域の高齢化を反映し、認知症疾患の患者さんが増加し、高齢の患者さんに療養していただくにふさわしい環境を提供するため、昭和63年4月、60床の老人専用の精神科病棟(第2病棟)が増築され、当院のベッドは計132床となりました。これに伴い、旧病棟は、一般 的な精神疾患の治療に専念できることになりました。増築された病棟は、旧病棟より一段高いところにあり、日当たりもよく、窓はますます広くとられ、明るい雰囲気を保ち、おそらくはこれまで身を粉にして働いてこられたであろう高齢の患者さんに、今でも、安心できる治療の場を提供しています。

 平成元年、「医療法人 慈心会」を設立、当院及び「村上医院」の運営にあたることになりました。
 平成4年4月より、訪問看護を開始、地域の在宅医療のニーズの一部に応えられるようになりました。
 平成10年6月、より快適な療養環境を提供するため、第2病棟のフロアを増築により拡大し、60床の老人性認知症病棟としました。増築部分の上階に、寝たきりとなった患者さんや合併症を生じた患者さんの治療のため、28床の第3病棟(合併症病棟)を設置しました。第1病棟は44床の精神療養病棟とし、病棟の機能分化を進めました。

 その後、スタッフの充足とともに、平成11年7月、第1病棟:48床の精神療養病棟、第2病棟:54床の老人性痴呆疾患治療病棟、第3病棟:30床の精神科一般 病棟(合併症病棟)、という現在の病棟構成になり、各病棟が、より専門的な役割を果 たせる体制が整えられました。

平成12年7月、精神障害者のリハビリテーションに更に力を入れるため、精神科作業療法を開始しました。
更に、精神障害者の社会復帰を支援するため、平成14年1月、精神科デイケア(小規模)を開設し、現在に至っています。


病院新館へ……あじさい街道の花たち



更新日:2017-06-08